敵は今川義元!奇襲で有名な『桶狭間の戦い』はどんな戦?
織田信長が有名になるきっかけとなった戦が『桶狭間の戦い』なんだよね?
この戦はどんな戦だったの?
どうして織田信長はこの戦で有名になったの?
桶狭間の戦いがあったのが1560年、織田信長が26歳の時だったんだ。
この時、信長は尾張一国を統一したばかりの駆け出しの大名だったんだけどね、
一方で『桶狭間の戦い』の戦いで敵となる今川義元は、駿河・遠江・三河の三ヶ国を支配する大大名だったの。
この当時、今川義元は日本トップレベルの大勢力で普通に考えたら到底、織田信長が敵うような相手ではなかったんだ。
なるほど。
そんな凄い相手に勝ったから『織田信長凄い!』ってなったわけだね。
そうそう。
で、もともと戦を仕掛けたのは今川義元のほうなんだよ。
上洛して今以上に権力を握りたかった今川義元は、上洛の道中に障害となる織田信長を潰してしまおう…との事で尾張へ侵攻したのよ。
その兵力はなんと2万5000!
対する織田信長は4000ほどの兵力…!
ヤバいじゃん!約6倍も差がある!
どうやって勝つのさ!
最初、織田信長は砦を五ヶ所に築いて、そこに兵1500を分割して配置し、今川軍襲来に備えたんだ。
しかしまぁ兵力差が凄いわけで、砦は落とされるし味方は討ち死にするしで大ピンチ!
織田信長はその時どうしてたの?
信長は砦にいなかったんだよ。
2500の兵をもって、居城の清洲城にいたんだ。
でもね、ただ清洲城でお留守番してたわけじゃない。
しっかりと今川義元の動向を調べて、じっくりと作戦を練っていたんだよ。
へぇー!
で、配下に色々と調べさせた結果、今川義元は砦から離れた『桶狭間』という場所の近くにいる事がわかったんだ。
信長はこの機を逃すなと、夜中に城を出発してこっそりと今川義元の近くにスタンバイ、奇襲をかけて義元を討ち取る作戦に出たのよ。
なるほど。
確かに、夜中に出発したらバレにくいよね。
そう。
しかも織田信長達の進軍中、運良く嵐に見舞われたんだ。
激しい雨音によって、行軍の足音はかき消されるし、今川義元達は雨宿りして動くことをしなかった。
しかもただでさえ、今川軍は砦のほうの戦で圧勝してるから、余裕ぶっこいて油断している状態…!
確かに!
まさか少数しかいない織田信長が、大軍でスタンバイしてる今川義元の陣営目掛けて突撃なんて思わないよね。
んだ。
で、信長は雨宿りを終えたばかりで、戦準備が整ってない今川義元の本陣目掛けて突撃したんだ。
んでんで、今川軍の兵達は突然の奇襲にびっくりして皆一斉に逃げ出し、あっという間に今川義元は織田軍に囲まれる事に…!
今川義元大ピンチ!!
万事休す。
今川義元は毛利新助という織田家の武将に討たれてしまったんだ。
でもね、今川義元も意地を見せた!
討たれる直前まで足掻きに足掻き、毛利新助の人差し指を食いちぎってやったんだ。
おお!武士の意地!
しかし、織田信長が直接討ち取ったわけじゃないんだね。
総大将の戦とはそういうものだよ。
総大将が死んでしまったらそこで戦は終了だからね。
総大将は基本的に兵達の後ろで戦況を見守ったり指揮とったり…。
でも桶狭間の戦いに至っては、織田信長が先頭切って突撃していった…なんてエピソードもあるみたい。
へぇー。
なにはともあれ、こんな感じで織田信長は今川義元に見事勝利したんだ。
今までパッとしなかった小大名の織田信長が、大大名の今川義元を破った事は大名達の間で話題になり、一躍織田信長は有名人になったのさ。
織田信長の凄いところは、情報収集をしっかり行って、勝てる!と確信を得て奇襲作戦に出たところだね。
絶望的な状況なのに、守りに入らずこんな積極的に行動できるのって凄い!
嵐が起こったのも運が良かったし、織田信長ってもってるねぇ。
ね〜!
今川義元は逆に、運が悪かったとしか…(; ・`д・´)
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