織田信長の有名な『楽市楽座』『兵農分離』って結局どういう事?
織田信長といえば、学校の授業でも習う日本の歴史においてはずせない偉人!
でね、織田信長の偉業として授業で習った記憶があるのが『兵農分離』と『楽市楽座』!
これ結局、何だったの?どういう政策??
わかりやすく教えておくれよ。
では『兵農分離』から説明しよう!
これはもう、文字通り『兵士』と『農業』を分ける政策だよ。
織田信長は戦をするにあたって、兵士の育成にとても力を入れていたんだ。
ふむふむ。
戦をするのは武士っていうイメージが強いけど、実は戦国時代、戦に参加していた兵の大半は農民や百姓だったんだよ。
へ〜!なんだか意外!
でしょ?
でも彼らの本業は農業。
彼らが畑仕事をして農作物を育ててくれるおかげで、武士の皆様は食べていくことができるわけよ。
農業がおろそかになってしまうと、領主達も年貢を納めてもらえないし、食糧難なんかになったら元も子もないよね。
うんうん。
だから畑仕事が忙しい時期なんかは、戦に参加してほしくてもなかなか都合がつかなかったりしてたんだ。
戦するぞー!ってなった時に兵が集まらないことがあったんだね?
そうそう。
そこで織田信長がとった政策が『兵農分離』だったというわけ。
兵農分離は簡単に言うと、
兵は戦だけする!
農民は農作業だけする!
と完全に分けるということ。
こうすることによって、信長は急な戦でも兵を動員できるようになったんだ。
なるほど!
軍事行動がおろそかになることもないし、農作業がおろそかになることもないって事か。
しかも信長は農民から兵士に取り立てた人々にしっかり給料を払って、城下町に住まわせたんだ。
そして農業をする必要がないから、そのぶん戦闘訓練を行ったりもしていた。
これによって、信長は戦力の高い軍隊を手に入れたんだ。
他国の寄せ集めの兵とはレベルが違うぞー!
好きな時に兵も集まるし、その兵の戦力も高い…!
織田信長が戦に強いのは、こういった工夫があったからなんだね!
『兵農分離』は凄い政策だったんだ!
そして次は『楽市楽座』について…
当時、商人たちの間には『座』という組合みたいなものがあったんだ。
でね、この『座』組合の人達が市場を取りし仕切っていたの。
その為、組合に入ってない商人たちは自由に商売ができなかったんだよね。
信長はこの『座』を廃止して、みんなが好きなように自由に商売ができる市場を作ったんだ。
あら!信長さん良い人じゃない!
そう、しかも信長は、市場で徴集していた税金も廃止したんだよ。
無駄に税金払わないでいいなんて最高でしょ?そりゃもう、みんな大喜びよ。
そんで『最高に商人に優しい場所があるぜ!』って話題になって、各地から商人が集まってきたのね。
となると、人も集まる。
信長の『楽市楽座』のおかげで尾張の街は豊かになって栄えたというわけよ。
『楽』という漢字はヤッター!的なポジティブな意味なんだね?笑
戦ばっかりだし怖い人のイメージあるけど、信長は領民の為の政策にも力を入れていたんだ〜!
そう、信長は有能なアイディアマン!出来る男!って感じだね〜!
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