伊達政宗の最後の時は?どんな晩年を過ごしたの?
伊達政宗って若い世代の戦国武将なんだよね。
そうだよ。
政宗がおじさんの頃には、日本は徳川家康の天下で平和な時代になってたんだよ。
戦国時代が終わってから、伊達政宗はどんな事をして日々を過ごしていたの?
野心が強いから、戦がなくて退屈してたんじゃないの?
そう。
徳川の天下になってから、戦のない平和な日々が続くことになるんだけど、伊達政宗はそれでもなお己の欲望に忠実に行動してたんだ。
ほー、何をしたの。
それはだね、海外の方々と手を結ぼうと企んでいたんだな。
1613年、伊達政宗は家臣の支倉常長をイスパニア(メキシコ)に派遣したんだけど、この理由が貿易をするため…というのと、
イスパニアの海軍が強いという噂を聞いて軍事同盟を結ぶため…という理由があるんだ。
理由というか、説なんだけどね。
平和な時代に外国と軍事同盟?!
一体、伊達政宗はなんのために…。
伊達政宗はイスパニアの協力を得て、徳川幕府を倒すつもりだったんじゃないのか?った言われてるみたい。
凄い事を考えてたんだね。
ちょっとあまりにも無謀な気がするけど…。
まあ結局、上手くいかなかったんだけどね。
当時、日本ではキリスト教の取り締まりが厳しくなってて、海外の方々と上手く友好関係が築けなかったんだって。
もしもこれが実現してたら、日本は外国の勢力に制圧されて全く別の国みたいな感じになってたかもね。恐ろしい〜!
この海外との国交が失敗してからは、日本で穏やかに過ごしてたみたいよ。
地元仙台で趣味のお料理を楽しんだりしてたんだってさ。
お料理が趣味なんだ。
女性ウケ抜群…萌える趣味ですなぁ。
徳川幕府の人達とも良い関係を築いていたんだって。
三代目将軍・徳川家光なんかは政宗のことを『伊達の親父殿』なんて呼んでとっても慕っていたんだ。
なんかわかる気がする。
伊達政宗って若い頃ヤンチャしてたから、妙なオーラというかカリスマ性がありそうだもん。
平和な時代に生きる人達からしたら、戦国時代に豊臣秀吉や徳川家康相手にヤンチャしてきた政宗は生きる伝説みたいな感じだったのかもね。
ねー!
そんな伊達政宗は病気で弱ってしまった自分の姿を見せたくないからと、妻や子供達を近づけなかったんだって。
妻や子供達の記憶にはカッコイイ伊達政宗だけを残して死んでいく…。
武士の美学というか男の美学というか、カッコイイ心意気だぁ。
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