大谷吉継は小早川秀秋を呪った?関ヶ原の戦いで何があった?
ねぇねぇ、
大谷吉継が小早川秀秋を呪い殺した…なんていう物騒な噂を聞いたんだけど。
マジ?
大谷吉継ご小早川秀秋を呪った…?!
それはきっと、大谷吉継が
『人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん。』
…こんな言葉を切腹の前に残したからそう言われているんだと思うよ!
たたり…!なんか怖い一言だねぇ。
大谷吉継は一体、なにがあってこんな言葉を残していったの?
小早川秀秋といえば、『関ヶ原の戦い』で石田三成ら西軍を裏切って、徳川家康の味方についたことで有名だよね。
うんうん。
関ヶ原の戦いの中心メンバーだった石田三成なんかは、小早川秀秋の裏切りを完全に予測出来なかったみたいだけど、大谷吉継は
『小早川…怪しいなコイツ…。』
と前々からマークしてたみたいなんだよね。
へぇ〜!
どういう所が怪しかったの?
まだこの当時、小早川秀秋は19歳で若輩者。
優柔不断で大名としての貫禄は皆無だし、戦に挑むにあたりさしたる信念がない。
そして豊臣家に対して、確固たる忠義もない。
石田三成のこともあまり好いてなかったみたいだし、
小早川秀秋の養母だったねねが徳川家康に好意的だった…
と、不安要素が沢山あったんだ。
なるほど。
西軍として参加表明を出していたとはいえ、何をしでかすかわからない危険人物だったんだね。
そう。しかも小早川家秀秋は1万5000という大軍を率いて関ヶ原の戦いに参戦してたんだ。
これは関ヶ原の戦いに参加した武将の中でもトップクラスの動員数なんだよ。
石田三成ら西軍が勝利するのに絶望必要な、主戦力だったというわけよ。
アララ…。
そんな重要人物に裏切られたら、そりゃ西軍は苦戦を強いられちゃうよね…。
そう。
小早川秀秋だけならまだしも、その小早川軍の隣に布陣していた
脇坂安治、小川祐忠、赤座直保、朽木元綱の四隊(合わせて兵力4500)も便乗して裏切りに加担したからね。
大谷吉継は彼らの隣にたった2000で布陣していたんだ。
で、大谷吉継は裏切り組み1万9500の大軍に攻め込まれ、奮戦虚しく切腹に追い込まれたというわけよ。
大谷吉継が命を落としたのって、100%小早川秀秋のせいだったんだね。
うむ。
で、大谷吉継は小早川秀秋に向けて
『人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん。』
と恨み事を残し、切腹して人生を終えたのさ。
なるほど…。
呪いとか胡散臭いなぁ〜って思っちゃうけど、こればっかりはかなり怨念がこもってそうだね。
ちなみに『人面獣心なり。』ってどういう意味?
そのままじゃない?
『顔面は人間だけど、心は獣だな。』っていう。
つまり
『この畜生めが!呪ってやる!三年の間に恐ろしい事が起きるぞ覚悟しとけや!』
って事でしょうね。
は〜、なるほど。
重い…。
そう、重いの。
実際、小早川秀秋は大分メンタルを病んだみたいよ。
自分が裏切ったせいで西軍の武将達が大勢戦死した、沢山の人が自分を怨んでいる…って。
んで、関ヶ原の戦いから2年後に小早川秀秋は亡くなるんだけど、大谷吉継や石田三成の亡霊に悩まされて発狂して亡くなったなんて言われてるみたい
なるほど。
実際、ホントにそれが小早川秀秋の死因なの?
諸説あるみたいよ。
もともと大酒飲みで肝臓の病気が死因だとも言われてるみたい。
ヤケ酒や心身疲労で体調を壊しちゃったのかもね。
あとは毒殺されたなんて説もあるよ。
小早川秀秋の事をよく思ってない人も多かったからこれもあり得るだろうね。
若いのにお気の毒…。
小早川秀秋はちょっと気弱な性格だったのかな??
あんまり、大将としての器はなかったんだろうね。
戦国大名なんてメンタル強くないとやってられないっしょ。
ね。
戦国時代、裏切りなんてそこやかしこであるもんね。
なにはともあれ、戦国時代はシビアな時代だ…!
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