大谷吉継は天才軍師?吉継が評価されるのはどういうところ?
ねぇねぇ、大谷吉継って『軍師』なの?
軍師というジャンルに振り分けられるような武将ではないと思うよ。
なぜ軍師だと思うんだい?
豊臣秀吉は大谷吉継のことを
『大谷吉継に100万の兵を与えて自由に指揮させてみたい!』
こう言っていたって聞いたんだ。
…てことは、大谷吉継って凄い天才的な軍師だったのかなぁ?って思ってさ。
おおっ。大谷吉継の有能っぷりを示す有名なエピソードだね!
確かに、大谷吉継は秀吉から凄く評価されてたみたいだけど…
大谷吉継はどんな所が評価されて秀吉にこんな事を言わしめたのか、という事については謎らしいよ。
秀吉の家臣時代、具体的な大谷吉継の有能軍師エピソードはないんだ?
そう、ないみたい。
豊臣秀吉の家臣で軍師というと、どうしても黒田官兵衛や竹中半兵衛といったガチ軍師勢が目立っちゃうからねぇ…。
大谷吉継は事務的な仕事が多かったみたいだけど、兵を率いて戦場に立つ事もあったんだよね。
記録に残ってない所で、素晴らしい指揮をとっていたのかもしれないね!
うむ!
歴史の全てが伝えられるわけじゃないし、きっとそうに違いない!
あ、でも、豊臣秀吉の死後の『関ヶ原の戦い』では大谷吉継の有能っぷりを示すエピソードがあるよ!
へぇ!
どんなエピソードだい??
大谷吉継の敵側である東軍に、前田利長っていう武将がいるんだけど、この前田利長は北陸の大大名だった前田利家の跡継ぎなのね。
加賀百万石で有名なあの前田家の武将だね!
そうそう、で、この前田利長は大きな力を持つ武将なのね。
関ヶ原の戦いに参戦されるとそりゃ、大谷吉継ら西軍は困るわけよ。
うんうん。
で、大谷吉継は策を講じて、この前田利長の動きを封じてみせたの!
吉継は加賀・越前にいる武将達とコンタクトをとって、彼らを西軍の味方に引き入れたんだ。
前田利長は周囲が敵だらけの状態になっちゃったわけだ。
そう。
西軍の石田三成と東軍の徳川家康で戦が始まろうとしている時期、自分の周辺の武将達が敵側についたとなると不安になるよね、
そこに大谷吉継は、
『会津の上杉景勝が加賀に侵攻しようとしてるらしい。』
『大谷吉継が挙兵して加賀に向かってるらしい。』
こういった噂を立てて、もっと前田利長の不安を煽ったんだ。
で、前田利長はこの噂を信じて、自領を守る為に加賀に留まったんだ。
徳川家康の為に挙兵する事はなかったというわけですよ。
おお!
前田利長はまんまと大谷吉継の策にハマっちまったわけだ!
まぁただでさえピリピリした時期だし、こんな噂が立ったら身構えちゃうよね。
今みたいに何でもかんでもスッと情報が入ってこないからね。
前田利長はドンマイとしか…。笑
いや〜、でも凄い。
大谷吉継は策略家ですなぁ。
他には、関ヶ原の戦いの地でも奮戦してたみたいよ。
大谷吉継の兵力はおよそ2000と少なかったんだけど、1万5000の兵力を持つ小早川秀秋に攻め込まれるのね、
あわわ。
8倍?!絶望的な兵力差だ…!
なんだけど、大谷吉継はこの大軍を二度も押し返すほどに奮戦したと言われてるんだよ!
さすがにこの兵力差だから、最後は追い込まれて切腹することになっちゃうけど…。
へぇ〜!
具体的なエピソードはないみたいだけど、きっと的確な兵捌きで敵を押し返したんだろうね!
それに関ヶ原の戦い、大谷吉継は病を押しての出陣だったんでしょ?
最後の最後まで、きっと懸命に采配を振るっていたんだよね。
うむ!
大谷吉継に限ったことじゃないけど、戦国時代の武士達の熱さにはホント心が震えちゃう!
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