大谷吉継の出身地や領地、石高は?豊臣家ではどんな活躍をしていたの?

大谷吉継の出身地や領地、石高は?豊臣家ではどんな活躍をしていたの?

大谷吉継の出身地は?豊臣家ではどんな活躍していたの?

 

大谷吉継って有名な武将だよね!

 

でもぶっちゃけ、豊臣秀吉の家臣で石田三成と親しいってイメージがあるくらいで詳しい事を知らないなぁ。

 

大谷吉継はどこの出身の人?

武将としては有能だった?何をして有名になったの??


 

 

大谷吉継は有名な武将だけど、出身地については不明な点が多いみたいだよ。

 

父親が九州の大友氏の家臣だったかもしれない…という説もあるし、

 

近江の六角氏の家臣だったかもしれない…という説もあるみたい。


 

 

父親についても不明な点が多いのか…。

大谷吉継は有名な武家の出身ってわけじゃないんだね。


 

 

そうそう。

いつ頃から豊臣秀吉に仕えたのか…とか、どういった経緯で秀吉に仕えることになったのか…といった事についてもよくわかってないんだって。

 

生年月日についても、1559年生まれだという説もあるし、1565年生まれだという説もあるとか…。


 

 

ありゃー。謎だらけ。

 


 

 

でもね、大谷吉継が1559年生まれで近江出身なら、石田三成と同年代で出身地も一緒なんだよ〜!

 

秀吉がまだ駆け出し大名の時代に、石田三成の仲介で小姓になった…なんて説もあるみたいだから、個人的には近江出身説が濃厚なんじゃないかなぁーと思う!


 

 

おお!そうかもねぇ!

それなら石田三成と仲の良いのも納得だ。


 

 

んでね、大谷吉継も石田三成も、どちらかといえば戦場でバリバリ働く勇猛タイプでなく、事務的な仕事をする官僚タイプの武将だったみたいよ。

 

戦に必要な物資や兵糧を手配したり、戦の計画を立てたり…あとは検知や財政面のお仕事とかもしてたみたい。


 

 

確かに、『大谷吉継は武勇に優れてた』なんてエピソードは聞かないねぇ。


 

 

若い頃は兵を率いて戦場に出る事もあったみたい。

 

でも、大谷吉継と同期の家臣には加藤清正や福島正則といった腕自慢の武将がいてね、

 

彼らの活躍には敵わず。

残念ながら、大谷吉継はこれといった武功は立てられなかったみたいだね。


 

 

まぁ、適材適所という言葉があるもんね。

きっと大谷吉継は頭を使って働くのが合ってたんだよ。


 

 

そうだね。

それに、大谷吉継は病で思うように身体が動かない事もあったみたい。

 

なかなか戦場で暴れまわるっていうのは厳しかったのかも。

 

歳を取るにつれて段々と病も悪化していったみたいだから、仕事もセーブせざるを得なかったかもしれないね。

 

実際、大谷吉継は越前敦賀5万7000石の大名に留まってるし。


 

 

確かに…!

石田三成が近江佐和山19万4000石だもんね。

 

福島正則や加藤清正も、確か大谷吉継より石高が高かったんだよね。


 

 

ね。

でも、とても有能な武将だったのは間違いないっ!

 

誠実な仕事っぷりで人望もあったみたいだし、関ヶ原の戦いでは石田三成の参謀として素晴らしい活躍をしているよ!


 

 

関ヶ原の戦い!

是非とも聞かせていただきたいですなぁ。


 

 

ウム!
改めて関ヶ原トークをしようではないか!


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