関ヶ原の戦いで最後を迎えた大谷吉継…その首の行方は?
大谷吉継が関ヶ原の戦いで切腹して最後遂げたのは分かったよ!
けど、切腹した後の大谷吉継の首の行方がきになるなぁ。
大谷吉継は誰かに首を奪われたりしたのかなぁ?
戦国時代、名のある武将の首を取ったら武功になるんだよね?
そうそう。
討ち取った首の身分によって与えられる恩賞が変わってくるんだよ。
けど、大谷吉継の首は敵に渡る事はなかったんだって。
今も関ヶ原のどこかに、恩賞吉継の首が埋まっているのかもしれないね。
へぇ〜。
そもそも、なぜ大谷吉継は切腹しなければならなかったの?
関ヶ原の戦いで西軍の敗北が決定した後、石田三成や宇喜多秀家なんかの西軍武将は戦場から脱出してるよね。
大谷吉継と石田三成らは、布陣していた場所や戦闘の状況が違っていたんだ。
関ヶ原の戦いざっくり布陣図
↑左下のあたり…
大谷吉継は、こんな感じで小早川秀秋の横にいるでしょ?
で、小早川秀秋に攻められて敗北したのも有名なんだけど、前面の敵、藤堂高虎の軍勢とも戦っていたんだって。
へぇ〜!そうなんだ!
…というか、前から横から…と攻め込まれて本当に逃げ場がないじゃないか。
そうなんだよ。
大勢の敵に攻められ、逃亡も敵わない大谷吉継は、敵に討ち取られ、その首を晒されるのは武士の恥!ということで、切腹して自ら命を絶ったんだ。
武士の意地!負けの美学!
切ないけどカッコいい!
でね、大谷吉継は自分の首を敵に奪われる事がないように、家臣の湯浅五助という武将に
『この首はどこか人目のつかない場所へ埋めてくれ』
と頼んでおいたんだ。
湯浅五助は遺言通り、人目のつかない場所へ埋めるんだけど、たまたまその作業中に敵の藤堂高刑(たかのり)に見つかってしまう…!
アチャア!
で、湯浅五助は
『私の首差し出すので、どうかここに大谷吉継の首があることは他言しないでいただきたい。』
と懇願したんだ。
自分の命と引き換えに、主君の名誉を守ろうとしたんだね。泣ける…!
そう!
敵の藤堂高刑も、そんな湯浅五助の忠義に感動して、それを承諾したんだ。
で、湯浅五助は藤堂高刑に首を取られてしまった…。
五助…(´;ω;`)
その後、藤堂高刑は東軍の総大将・徳川家康に湯浅五助の首を届けるんだけどね、
徳川家康は、そんな事より大谷吉継の首は?吉継の家臣なら首の在り方を知ってたはずだと藤堂高刑に詰め寄った…!
そりゃそうだ。
大谷吉継は西軍の主要メンバーだもんね。
生死もハッキリしときたいし、家康的には首を手に入れときたい人物だよね。
そうそう。でもね、藤堂高刑は
『湯浅五助と約束したので、家康様といえど教えられません!』
と絶対に口を割らなかったんだ。
大谷吉継の首を差し出せば武功となるのに、それどころか敵を庇って大将に反抗的な態度をとるなんて…!
藤堂高刑も湯浅五助同様、義に厚い一本気な武将だねぇ…。熱い男だ!
カッコイイよね!
徳川家康が天下人になろうとしてる時だし、今後の立場の事とか出世の事とか考えたら、なかなかそんな行動とれないよね。
それで、藤堂高刑はどうなったの?
徳川家康の機嫌を損ねちゃったんじゃないの??
それがね、一連の話を聞いた徳川家康は、
『お前らの忠義、人情に感動したっ?』
てな感じで、責めるどころか藤堂高刑に褒美を与えたんだって。
わお!話のわかる人〜!器の大きいお方だ!
徳川家康…、さすが天下取るだけあるねぇ〜!
ねー!
こういう男気溢れる武士達のエピソードはたまんないよね。
うんうん!
自分もこういった信義に厚い、カッコイイ人間になりたいもんです!
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